エクスペリエンスデザイナーとしてチャレンジしてきた俺の屍を越えてゆけ #designship2018
※この記事はDesignShip 2018 2日目のトーク、坪田 朋さんによる「エクスペリエンスデザイナーとしてチャレンジしてきた俺の屍を越えてゆけ」の内容を書き起こしたものです。記事を早く出すため体裁が整っていない部分もあるかと思います。あとで気が向いたら直します。
坪田 朋 氏登壇内容(DesignShip Webサイトより)
過去にチャレンジしたサービスデザインから組織作りまで、うまくいったこと、くじけたこと、現実と向き合ってきたことを赤裸々にエモく話したいと思います。 今は「PM × デザイン」「経営 × デザイン」領域にチャレンジしてます。この話を聞いてチャレンジする人が増えると嬉しいです。ナレッジを分け合うキッカケにさせてください。
トーク内容
noteに今日の登壇内容を公開している。新規事業にチャレンジするヒトを増やしていければ。
自己紹介
エクスペリエンスデザイナーをしている。新規事業を作っていくなど。夢はユニコーン企業の創出。ダカールラリーに出場すること。
俺の屍を越えてゆけ
以前ロールモデルが不在だった。プロダクトを作るときに、誰かをなぞればできるかといえば、できないと思った。自分の中で不安でチャレンジしてきたことを話す。
自分の時代はガラケーが出てきたあたり。のちにiPhoneが出てきて、UIデザイナーという領域が出てきた。ここからモバイル領域を仕事にするように。
本気でデザインに取り組めるように、デザイン組織に本気で取り組むようにした。当時デザイナーが少なかった(今は200人くらい)。人集め、予算確保などもやった。世の中から匿名のデザイナーを増やしたい。
当時はスマホシフトは正義だと思っていた。周りからはガラケー時代に何を言っているのかという目で見られた。パスというクローズSNSアプリがあった。すごくかっこいいと思った。憧れより不安を感じた。
当時マネジメントを学びたくて、ある会社に聞いてみたりした。アルバイト的な感じでいさせてもらった。仕組み作りやモチベーションの違い、意識の浸透などで違いを感じた。
1社だけだと変わりきれないこともあり、メディアの力を借りたり、イベントを実施したり。経営者の人に発信してもらうといろんな人に見られたり。影響力がある人が発信すると変わるということを思った。
だんだん人が大きくなってきたが、組織を作ったけどどうしようと悩むことがあった。元々デザイナーだったんだ、ということに気づいた。手を動かしてなかった。企業価値は上げられるかもしれないけどデザイナーとしては死んでしまうと思った。やっぱりプレイヤーに戻りたいと思った。マネジメントからプレイヤーになるとき、報酬問題があった。日本でプレイヤーで報酬が上がり続けるフィールドは少ない。プレイヤーがチャレンジし続けられる環境を作って行こうと思っている。
グローバルにチャレンジしたいという思いがあって、そのようなプロダクトに関わった時もあった(Babily)。中国は今すごくいいサービスを持っている。熱量が高い人達も多い。そのようなところで仕事できてよかったと思った。
新しいゼロイチをあきらめたくないので、BASECAMPを作った。
今もこれからも作ることにチャレンジしていきたいと思っている。だいたい事業は1年に1個くらいしか作れない。年齢が上がってくると求められるものが増えてくる。会社の仕組み化など。
振り返ると、プレイヤーで居続けるのは大変だなと思った。1事業の1部署にいる時はまだ大変。歳を重ねると違うスキルを掛け合わせなきゃいけない、求められるものが多くなってくる。デザイン以外の領域も必要になってきている感覚がある。クリエイティブのセンスを積み上げながらやっていきたい。
作った記録を残すということをした方が、もしかしたら誰かのロールモデルになるかもしれない。いつまでプレイヤーでいられるかわからないが、死んでもトラックレコードがあればそれを乗り越える人がいるかもしれない。
グローバルに働くということは、英語を使って仕事をすることというよりは、イケてるものを世界に発信することだと思っている。